ザ・ルースターズ、全13作品118曲配信解禁!──配信実現の立役者が語る、“ロック”を次世代に繋ぐために
2023年10月18日に発表され、日本中のロック・ファンが驚きに包まれた“ザ・ルースターズ、全アルバム13タイトル118曲一斉配信開始”の報せ。これまでたびたび彼らの素晴らしい作品の数々が配信サービスで聴くことができないことに関する声は上がり続けていたが、ついにこうしてオリジナル作品のほぼ全てを聴くことができるようになった。これは日本のロック史において、2023年の大きなニュースのひとつであることは間違いない。今回OTOTOYでは、この配信実現に向けて動いたひとりの立役者に話を訊くことができた。貴重な証言とともに、彼らが残した素晴らしい名曲の数々に触れてみてほしい。
OTOTOYでも全13タイトル、118曲ロスレス配信中!
各作品はこちらのページにて!
INTERVIEW : 渡辺佳紀 (株式会社Nicholson & Co.代表)
ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS/THE ROOSTERZ)をご存じだろうか? 大江慎也(Vo,Gt)、花田裕之(Gt)、井上富雄(Ba)、池畑潤二(Dr)の4人で福岡にて結成され、1980年にシングル“ロージー”、アルバム『THE ROOSTERS』でメジャー・デビューしたのち、メンバー・チェンジを繰り返しながら1988年のアルバム『FOUR PIECES』まで、80年代を駆け抜けたロックンロール・バンドだ。その名を知る人にとっては、所謂“めんたいロック”ムーヴメントを担ったバンドとして語られたり、ハイ・スピードでソリッドな演奏に乗せて赤裸々な曲を歌うバンドというイメージがあるかもしれない。また、これまで楽曲配信が行われていなかったことで、彼らの実像をぼんやりと捉えている音楽ファンもいるのではないだろうか。そんな人こそ、是非聴いてみてほしい。全アルバム13作(ライヴ盤、EPも含む)を聴けば、彼らが短い活動期間でいかに様々な表現を試みてきたロック・バンドなのかがよくわかるはず。今回、待望の配信リリースに尽力した人物が、元・日本コロムビアの制作ディレクターで、現在は「株式会社Nicholson & Co.」の代表としてアーティストをプロデュースする渡辺佳紀氏だ。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを手掛ける等、ロック・シーンの変遷を知る渡辺氏に、ザ・ルースターズの魅力、配信実現の経緯などについて語っていただいた。
取材・文 : 岡本貴之
現場でできるのは自分しかいないという使命感
──まず、渡辺さんの経歴についてお伺いできますか。
元々1986年に日本コロムビアに入社して、大阪の宣伝部に配属されたんです。当時はRED WARRIORSがデビューしてイケイケなころで、大阪の宣伝部にいても彼らを推そうというムードでした。そんななかで、コロムビア所属のいろんなロックバンドのなかに、ザ・ルースターズがいたんです。入社してすぐに京都でライヴがあって、そこでメンバーとお会いしてご挨拶させていただいたのが最初の出会いですね。ただ、1986年ですからバンドはもう収束に向かってる時期だったんですよね。それもあって、自分は当時の制作現場に関わったことは一切ないんです。
──なるほど。では最初はどんなバンドに関わっていたのですか。
その後、東京に戻って主にバンド関係の制作を担当するようになって、元々ニューロティカから始まってるんです。当時のコロムビアのバンドって、LOUDNESSがいたりゴダイゴがいたりしたんですけど、パンク・バンドがいなかったんですよ。かたや“ポコチンロック”(80年代後半に起こったアンジー、レピッシュらによるインディーズ・バンドのムーヴメント)のようなインディーズ・ブームがあって、レコード各社いろんなバンドの争奪戦が繰り広げられたんです。そんな中でニューロティカはパンク・ロックをすごく親しみやすく解釈してやっていてとにかく面白かったしお客さんも入っていたので、絶対コロムビアでやりたいと思いました。私が所属していた〈TRIAD〉レーベルは、レコード会社と、アーティスト、プロデューサーの三つ巴でやっていこうという趣旨で、外部のプロデューサーとして財津和夫(チューリップ)さんを招聘して運営していくレーベルとして始まったんですよ。だからそこにいらしたのは上田正樹さんや山本英美さんっていう、シンガー・ソングライター系のかたが多かったんです。そこにニューロティカが乱入した(笑)。それと、同時期に〈TRIAD〉と麻田事務所が組んで〈SEVEN GODS RECORDS〉という、レーベル内レーベルが始まるんです。麻田事務所にはピチカート・ファイヴ、THE COLLECTORS、THE WILLARDらが所属していて、コロムビアでやることになったことで、そこからレーベルのカラーが変わったんですね。私はTHE COLLECTORSを担当していました。その後THE YELLOW MONKEYらバンドも多く所属し、そういう流れがあって、社内からバンド好きな人間が部署に集まってきたんです。そんななかで、私が手掛けたバンドの一つが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだったんです。ディレクターとして、『cult grass stars』(メジャー・デビュー・アルバム)から制作に携わっていました。そこからピチカート・ファイヴ、Syrup16g、MO'SOME TONEBENDERなどを担当して、2008年に独立しました。
──ルースターズは1988年に解散しているわけですが、今回の配信リリースに至るまでの渡辺さんとルースターズの関係というのはどこで生まれたのでしょうか。
2004年にルースターズがオリジナル・メンバーで〈FUJI ROCK FESTIVAL〉に出ることになって、当時の担当者とか、スマイリー原島さんとか、ルースターズまわりの人たちが集まってきて、「BOXセットを出そう」って盛り上がったんですよ(2004年『THE ROOSTERS→Z OFFICIAL PERFECT BOX “VIRUS SECURITY”』)。それで毎週1回、私がコロムビアの大きな会議室を取ってみんなで集まっていたんです。流石なのが、みなさんレアなデモ・テープとかライヴ映像を見つけてくるわけですよ。プロモーション・ビデオがいくつかあったんですけど、当時PVって消耗品というか宣材物だったから、ポスターとかチラシとかと同じ扱いで、宣伝が終わってアーカイヴとして取っておく感覚がなかったんです。それを商品化しようという感覚はあんまりなかったんですよね。ルースターズのファンやマニアのかたからもVHS等がたくさん集まって、それをまた会議室で「いいねえ~」って、みんなでただただ観たりして(笑)。それと、オフィシャルのレア・トラック、未発表曲のマルチトラックがあるということを聞きつけて、それをトラックダウンし直したりして、数曲をBOXセットに入れたんですけど、そこでルースターズの音源とかビジュアルとか、歴史をほぼ全部目の当たりにすることになったんです。本格的に彼らの音楽に取り組んだのはそのときですね。
──その時点ではメンバーさんとも面識があったわけですよね。
ありました。『爆裂都市 BURST CITY』を撮った石井聰亙監督(現・石井岳龍)にドキュメンタリーを撮っていただこうと依頼して、フジロックへ向けてリハーサルをしている九州に一緒について行ったりとか。ルースターズのメンバーさんとはそれまで電話で話すぐらいのレベルだったんですけど、そのときにちゃんとお仕事としてご一緒した感じですね。
──4人で久々のライヴに向けてリハーサルをしているところを、石井監督が撮影しているというのはものすごく緊張感のある現場だったんじゃないですか。
もう、すごかったです。最初スタジオにメンバーが集まってきて、全員無言のなか、大江さんが唐突に“FADE AWAY”のイントロを弾くわけです。それにみんなが追随して、無言のままリハが始まった。オリジナルのザ・ルースターズ再集結の瞬間ですよ。石井監督も熱かったですしね。石井監督がまたレアな映像を持っているんですよ。昔ここで撮った8ミリがあるって言うので見たら大江さんが語っていたり。そういうものを収録したりしました。その後、フジロックにはコロムビアのスタッフ30人ぐらいでバスを貸し切って行ったんです(笑)。
──そのときはコロムビアとしても本当にルースターズを盛り上げようとしていたわけですね。
そうです。「これはコロムビアの至宝」だと思いました。だからこれは後を継がなきゃいけないっていうか、「ルースターズの音楽を伝えていかなきゃいけない」と思ったんですよね。そういう人が立場的にもうめちゃくちゃ偉くなっていたりしていたので、現場でできるのは自分しかいないという使命感でやりました。それからは、トリビュートを出したり(2005年『RESPECTABLE ROOSTERS→Z a-GOGO』)して、その後私がコロムビアをやめてからも、アルバムのアナログ盤やUHQCDを出したり復刻のお手伝いをするようになったんです。最高だなと思っているのが、7インチを全部復刻したんですよ(2017年)。全部で8枚あるんですけど、エンベロープ(レコードを入れる袋)も当時のやつを復刻したんです。ただの自己満足ですがあれは楽しかったですね。