2023/11/20 17:00

「東京ブギウギ」へと至る「近代音曲史」──書評 : 輪島裕介著『昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』

オトトイ読んだ Vol.18

オトトイ読んだ Vol.18
文 : imdkm
今回のお題
『昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』
輪島裕介 : 著
NHK出版 : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は輪島裕介による『昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』。現在放送中のNHK、連続テレビ小説『ブギウギ』、その主人公のモデルで、第二次世界大戦前後に爆発的な人気を博した「ブギの女王」笠置シヅ子、そして戦後復興期を象徴するヒット曲なった彼女の代表曲「東京ブギウギ」の作曲など、楽曲面でその活躍に寄与した服部良一。このふたりの活動をメインに、戦前の西洋音楽〜ジャズの大衆芸能としての受容にはじまり、いわゆる歌舞音曲の融合の様、そして戦後に「東京ブギウギ」を生んだ、その背景に迫る一冊。戦前・戦後の日本のポピュラー音楽史、特にレコードのみならず、実際の「舞台芸能」をひとつ視点に加えることで立体的にその有り様を描いています。まさにドラマ『ブギウギ』の副読本としても最適な1冊です。 “オトトイ読んだ”、18冊目となる本作の書評は、本コーナーではおなじみのimdkmにお願いしました。(編)

近代日本大衆音楽史に加える新たな視点

──書評 : 輪島裕介著『昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』──
文 : imdkm


 「ブギの女王」と呼ばれた歌手、笠置シヅ子。そのパフォーマンスにくわえ、服部良一とのタッグで送り出した楽曲で大衆の心をつかみ、歴史に名を残した彼女だが、10月から放送中のNHKの連続テレビ小説「ブギウギ」で生涯が取り上げられていることもあって、その功績にあらためて注目が集まっている。
 このタイミングにあわせて、日本コロムビアからはこの夏、笠置シヅ子や服部良一の作品をまとめたコンピレーションが改めてリリースされたほか、10月には代表曲「東京ブギウギ」のリエディット/リミックス・ヴァージョンもリリースされた。特にこのリエディットは渋くていい仕事だった。1955年の録音をおおもとに、イントロに三連の印象的なキメのフレーズをもってきてリズムのおもしろさを強調。さらにアコースティック・ベースとパーカッションをダビングして音に広がりと厚みを保たせている。地味だけれど、大きな音で再生したときには特に新鮮な驚きがある。
 かように、過去のアイコニックなシンガーやアーティストに触れようと思えば「録音された作品」がもっとも手軽なツールとなるし、より間口を広げるためにそれを今の耳に合わせて再構築することだって行われる。際限なくリマスターやリミックスが行われるビートルズの作品(つい先ごろいわゆる赤盤・青盤がリリースされたばかりだ)はその象徴と言えよう。
 これは録音物を通じて音楽にふれることがごく一般化した現在、ごく自明であるように思えるかもしれない。しかし、録音物にふれることにすっかり慣れてしまったがゆえに、録音された音楽こそ作品であるとさえ考えてしまったり、録音物としての音楽を流通させるレコード産業の歴史を音楽の歴史そのものと同一視してしまったりしていないだろうか。それで本当にいいのだろうか。
 ポピュラー音楽研究者の輪島裕介による『昭和ブギウギ:笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』(NHK出版新書、2023年)は、タイトルがしめすとおり、笠置シヅ子と服部良一の仕事を取り上げた新書である。ふたりの活動の軌跡とその時代を紹介し論じる本として、「ブギウギ」の副読本にはうってつけだろう。  ただ「前口上」で語られるとおり、本書は「近代日本大衆音楽史の捉え方を根底から転覆させる、という、かなり大それた野望」(p.14)を持っている。デカいヴィジョンのある1冊なのだ。資料の渉猟と楽曲分析を積み重ねつつ、ときに大胆な仮説と新たな観点を提示する。その語り口のダイナミックさこそ、そしてなにより、その語りを通じて描き出されるこのふたりとその時代のいきいきとした姿こそ、本書の魅力だ。  そんな野望について、本書では4つの「暗黙の前提」に対する挑戦が掲げられている。

一、一九四五年の敗戦を決定的な文化的断絶とする歴史観への挑戦
二、東京中心の文化史観に対する挑戦
三、「洋楽」(≒西洋芸術音楽)受容史として近代日本音楽史を捉えることへの挑戦
四、大衆音楽史をレコード(とりわけ「流行歌」)中心に捉えることへの挑戦

(p.15『昭和ブギウギ: 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』)

 いかにも大仰だが、本書を実際に読み進めれば、これらの4つの挑戦が本文のそこかしこに浸透していることがわかるはずだ。個人的には、4つ目の挑戦たるレコード中心の大衆音楽史観への批判的視座がもっとも印象的だった。読後折に触れて想起するし、それゆえ「録音物としてのポップ・ミュージック」という、あえて言えばきわめて特殊な音楽の領域に対する距離感のとりかたを考え直すきっかけにもなっている。そんなわけで、前述の問いがぽかんと出てきたりもするわけだ。まあほかならぬ音楽の流通プラットフォームでこんな話をするのも皮肉な話かもしれないが。
 もちろんこうしたヴィジョンの強さのみならず、個別の記述のなかにも興味深いものはたくさんある。たとえば個人的な関心からいえば、第七章「服部は「ブギウギ」をどう捉えていたか」では服部の音楽観が細かく批判的に検討されるが、特に「ビート進化史観」への批判(pp.237-240)は示唆的だった。
 本書の企図が今後どのように展開し、あるいは受容されるかに手に汗握る期待をしたくなる。関心のあるなし、納得するしない以上に、その熱気になにかインスパイアされるような一冊だ。

TOP