2024/04/19 18:00

「ただ音楽がそこにあるだけ」は実現できるか──書評 : 小松正史 著『人と空間が生きる音デザイン 12の場所、12の物語』

オトトイ読んだ Vol.23

オトトイ読んだ Vol.23
文 : 塚田 智
今回のお題
『人と空間が生きる音デザイン 12の場所、12の物語』
小松正史 : 著
昭和堂 : 刊
出版社サイト

 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は小松正史 著『人と空間が生きる音デザイン 12の場所、12の物語』。京都タワーから美術館、博物館、そして病院や薬局まで、12の場所と、その音楽の関係性に迫った1冊。Glimpse Groupのベーシストでもあり、音楽メディアや釣り専門誌などライターとしても多岐に活躍する塚田智による書評でお届けします(編集部)。

ステージと客席の隙間に横たわる「堅苦しさ」

──書評 : 小松正史 著『人と空間が生きる音デザイン 12の場所、12の物語』──
文 : 塚田 智


 長野県は八ヶ岳のふもと、五光牧場オートキャンプ場にて行なわれている〈EACH STORY〉という野外音楽イベントがある。アンビエントやエレクトロニック、即興音楽などのミュージシャンが国内外から集まり、2021年から毎年行なわれている。
 ここでは通常の野外フェスとはちょっと変わった試みが取り入れられている。ステージと観客スペースのあいだに、ちょっとした池が配置されているのである。いわば、演奏を最前列で観られる砂かぶり席がなく、お客さんはその少し後ろのほうで思い思いにくつろいでいるのだ。このフェスについて、ジム・オルークと石橋英子ら出演者が語る記事がCINRAにて公開されているのでぜひ読んでみてほしい。
 のっけから違う話題から入ってしまったが、今回の書評『人と空間が生きる音デザイン』を再読した際、まず思い出したのはこのイベントのことだった。ステージと客席の狭間に横たわる「堅苦しさ」をあぶりだす、実に画期的な試みだったように思う。

日本庭園での即興演奏から考えること

 空間デザインの手法のひとつとして「音環境デザイン」というものがあるのをご存知だろうか。あるひとつの空間を、視覚的効果ではなく、その場に発生する音という観点からつぶさに観察し、よりよい空間にしようというものだ。そして、その場に一体化するように用いられる音楽のことを、「アンビエント・ミュージック」(=環境音楽)と呼ぶ。
 本書は副題のとおり、環境音楽作家として活動する著者が、さまざまな空間に音デザインを施した12の事例をドキュメンタリータッチで紹介している。著者の地元である京都を中心に、京都タワーや京都国際マンガミュージアムといった施設にはじまり、美術館や公園、病院、そして漢方薬と一緒に「服用」する音楽の作曲など、バラエティーに富んだ事例が並ぶ。
 環境音楽は、意味としては「BGM」に近しいのだが、著者が強調するのは音の「引き算」をするだけでも空間は好転するということだ。たとえば京都タワーの事例では、展望室に設置されていたゲーム機を撤去し、専用の音楽を作曲することで、眼下の風景に没入できるような空間ができあがった。以降、ひとりあたりの滞在時間が増えたという。「耳は五感のうち唯一閉じることのできない器官」という大前提に軸足を置くことで、本書の読後はあらゆる空間の感じ方が変わってくるのが実感できる。
 環境音楽のBGM的な効果を期待しつつも、著者自ら即興でのピアノ演奏で音環境デザインを試みるという斬新な事例が、京都府亀岡市の家庭料理屋「へき亭」の日本庭園におけるエピソードである(第2章「無作為の音を奏でる――日本庭園へき亭」)。
 これは、この庭園の草木の剪定を務める「庭詩」である実政秀行さんとのコラボで、庭園という空間を、ピアノと自然音との調和をとおしてデザインするというのがねらいだ。自然音というのは鳥のさえずりから風切り音、そして枝が切られる「パチンッ」という音も含まれる。入場無料、とくに客席や演奏時間などを設けずに行なわれたこの試みは、普段私たちがライヴハウスで観るような「作為的な」それとは真逆のものであった。

ステージの真ん中にはイチョウの大木があり、庭のすべてを見守っている。自分もその木の一部になったつもりで、ピアノを奏で始めた。(中略)音楽を集中して聴くことから、大きくかけ離れた演奏会。誰もピアノに視線を向けていない。(中略)弾いているぼくも、演奏している感覚はどこかに消えていった。(『人と空間が生きる音デザイン』第2章「無作為の音を奏でる――日本庭園へき亭」p.50より)

※このイベントは2012年5月から毎年1回行なわれていたが2019年を最後に開催されていない。なお、へき亭は2023年末に閉店している。

 演奏終了後、著者は「ただ、そこにいるだけ」の感覚だったと振り返った。演奏者がお客さんと対峙するというような、ある種の堅苦しさを取り払うことに成功したのである。
 冒頭に挙げた〈EACH STORY〉の試みも、まさにそこが主眼だ。ステージと客席を隔てるようにある小さな池。これによって演奏を「視る」という要素が薄れ、音楽が添えられたその空間にいっそう没入することができる。
 もとをたどれば環境音楽とはブライアン・イーノが1978年に発表したアルバム『AMBIENT 1: Music for Airports』(空港のための音楽)が発端とされている。文字どおり空港というパブリックな空間において、「意識的に聴かれること」を想定しない音楽、をコンセプトに制作された。
 イーノ以降、環境音楽は音楽的嗜好としても市民権を得ていく。そうした流れのなかで、界隈のミュージシャンたちは自分たちの音楽が「どう聴かれるか」という点において、さまざまな工夫を凝らし、イベントを行なってきた。著者の日本庭園での試みもまさにそのひとつ。こうした工夫に、空間との隔たりをつくらないという、環境音楽の本質が隠れているのだ。空間デザインの成功例として本書を手に取る読者も多いだろうが、音楽を「どう聴くか」、または「どう聴かれるか」ということに思いを馳せることができるのも、もうひとつの魅力である。


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